ジェフホーキンス著、『脳は世界をどう見ているのか』を読みました。
近年のAIの進歩は目覚ましいもので、ChatGPTの登場を皮切りに世の中はSFの世界により近づいたと思います。
人工知能についての話題が上がる度に思うのが、知能とはそもそも何なのか?という疑問です。
この本はそんな疑問に答えてくれる名著でした。
※以降は本を読んで自分が勝手に解釈した内容が含まれております。ご留意ください。
知能とは
知能とは世界を学習できる能力のことです。
人間は現存している生物の中で最も知能が高いです。あらゆる動物の中で最も世界を学習し、理解してます。
犬や猫などの動物は人間ほど世界を理解できていません。自分の名前やいくつかの言葉、行動を学習できるだけです。
虫や魚に至っては世界を学習する能力が更に乏しく、知能がより低いと判断できます。
では、学習するとは具体的に何なのでしょうか?
学習とはモデルを構築することだと本書で書かれています。
例えば、ここに1つのコーヒーカップがあります。
人間がコーヒーカップを学習する際、それを見たり触れたりすることで脳内でモデルを構築していきます。
・コーヒーカップとはどんな見た目の物がそう呼ばれるのか?
・触れるとどの程度の重さなのか、落とすとどんな音をたてて割れるのか?
・他の人間はそれをどのように扱うのか?
コーヒーカップに関するあらゆる情報を、モデルを作成するための材料として溜め込みます。
一定の学習を終えると、コーヒーカップとは何か?を理解します。
理解した後は、新しいコーヒーカップが目の前に現れたとしても、今までの学習に近しい要素を持っていれば、それをコーヒーカップだと認識できます。
また、コーヒーカップにどのような性質があるかを予測し操ることもできます。
私はこの「モデルを構築することが学習である」という点に、大いに共感できました。
普段の仕事でも自分の知らない技術に出会った時は、まずはそれに触れてみて、わからないことについては仮説を立ててみます。
他の人の利用例を参考にすることで理解を深めようと試みます。
触れていくうちにそれがどのような物なのか、他の似た技術とはどこが違うのか、という線引きができるようになります。
そして、一定以上の理解ができれば、それを利用して様々なシステムを生み出せるようになります。
この過程はまさに学習と呼ぶべきものだと思いました。
知識とはどこにあるのか?
本著の内容で素晴らしい解説だと感じたのが、知識とはどこにあるか?についてです。
知識とは頭の中にあるものだと思っていますが、具体的にはどこにあるのでしょうか?
その説明として、下記の例えで説明されていました。
とある町には水道設備が存在しています。
その街には水道インフラに関する知識を持った人が一定数存在する訳ですが、一体誰が知識を持っていると断言できるでしょうか?
例えば、水道設備を作るには配管工事が必要となります。
土を掘る人や土管をつなぐ人、地図を見て設計する人もいます。
それぞれが持っている知識は重なっている部分もあれば、重なっていない部分もあります。
土を掘る人はどこの土を掘れば楽に掘れるかを知っています。
土管をつなぐ人は細かいパーツや道具の扱い方を熟知しており、設計する人は土管を如何にして地図上に張り巡らすべきかを熟考して導き出す能力があります。
それぞれの役割が近いほど似たような知識を有している可能性は高いですが、すべての知識が重なっているわけではないのです。
知識には曖昧な領域が存在し、明確な線は引きがたいです。
その為、そもそも知識がどこにあるのか?と問うこと自体がナンセンスなのです。
先の例で言えば、街には水道インフラが実際に存在している為、水道インフラの知識はあると断言できます。
しかし、その知識がどこにあるかと問われれば土管を掘る人の中でもあり、土管をつなぐ人の中でもあり、地図を見て設計した人の中でもあります。
「知識のありかは曖昧で境界のしがたいものだ。しかし、確実に存在している」
これが著者の回答であり、私は納得させられました。
今のAIが知的であると言えない理由
現状のAIはまだまだ知的であるとは言い切れないと、本書では何度も釘を刺されていました。
その理由は、人間の知能とは程遠いからです。
今のAIは人間の脳のうち、解明されているごく一部の機能を模して造られています。
ごく一部の機能しか持たない為、人間の真似事はできても実現できていない部分が多くそれは知的(人間と同等の知性を持っている状態)であるとは言えないという理屈でした。
この点に関しては同意できなかったです。
人間と同程度ではなくとも、一定以上の学習能力を有しているのであれば、知的な存在であるといっても問題ないと私は考えています。
つまる所、どの程度の学習能力を知的と定義するかの話だと思います。
ジグソーパズル
人間の脳について、今の科学力でわかっていることはそれなりに多いらしいです。
正確には科学的根拠となるデータ、つまりパズルのピースは日に日に増えています。
しかし、肝心の絵を完成させるには理論的枠組みが乏しく、ピースをどのように当てはめていけばよいかがわかっていない状態です。
今求められているのはピース自体ではなく、そのピースをどこにどのように当てはめればよいか?という理論です。
それが発見されることで人間の脳への理解は格段に高まり、いずれ逆算して次々とピースをはめられるようになると述べられていました。
この例えは言い得て妙です。
私の中にあった脳科学という分野へのぼんやりとした認識が、見事に言語化されていました。
人に話す時はこの例えを真似させてもらおうと思います( ..)φメモメモ
古い脳と新しい脳 保守困難なシステム
人間の脳がどれほど難解で複雑な仕組みを持った上で、高い知能を有しているか。
人間には感情や欲求を持った古い脳とそれらを覆う巨大な新しい脳があります。
新しい脳は新皮質と呼ばれ、いわゆる理性を司っています。
古い脳の機能と新しい脳の機能を利用することで人間は生きています。
構造的には古い脳の上に新しい脳が後から追加された形になっている為、それらを理解するのは難解です。
上記の脳の構造を知り、保守困難な大昔のシステムのようだと思いました。
大昔にできたシステムは大抵、ドキュメントもあまり整備されておらず、設計思想やコーディング規約も存在しなかったりします。
システムに関わったエンジニアが思い思いに改修作業を行い、中身がカオスになっていることが多いです。
改修を重ねるごとにカオス化は加速していき、いずれ影響調査も満足にできなくなり、改修困難な状態に陥ります。
人間の知性は有史以来ある一定の段階まで上昇しているが、近年そこまで発展していないそうです。
理由はもう改修が困難な状態になってしまったからではないでしょうか?
脳自身がもう改修はできない、改修したとしても現状のシステムに悪影響を及ぼすと判断しているのではないかと推測しています。
であれば次の策は、今のシステムから新しいシステムへと移行することになるのではないかと思います。
脳からPCへ思考回路や記憶を移し替えるようなことが、そう遠くない未来に行われるのでないでしょうか。
SFの世界へ
本書の後半では、AIが今後世界にどのような変化をもたらすか?その予想が述べられていました。
もはやSFの世界と遜色ない世界が訪れるという意見が主でした。
また、来る変化がどのような物かを予想することは誰にもできないとのことでした。
この点については、著者のおっしゃる通りだと思います。
仮に人間より知能の高い存在が出現したとすれば、それらは自己を複製して世界を一瞬で管理できる存在になりえると思います。
それらが何をするかは、人類には知る由もないです。
感想
知能関連の本はやはり面白いです。
この本は多くの人か感じているであろう知能や脳、AIについて言語化してほしかった部分が悉く表現されていました。
また、著者であるジェフ・ホーキンスさんが如何に脳や知能というモノに魅了され生きてきたかがひしひしと伝わってきました。
「この本を読み、知能に興味を持った人は是非こちらの世界に来てほしい」という著者の言葉にも心を揺さぶられました。
知的好奇心を刺激される最高の本でした。
改めて本著のリンクを貼るので皆さんも読んでみて下さい。